タランテラのテロルと踊り

初めまして安藤です。

頭の中のごちゃごちゃした反芻思考を言語化しアーカイブとする目的と思考を文章として出力する目的ではじめました。もちろん、承認欲求も手伝っています。

要するに自分の頭の中をさらけだそうという試みです。

 

そういう訳で日記なのか考察なのか創作なのか一切方向性は定まっていません。

 

 

内省といえばかっこ良く聞こえる謂わば自分語りがキモいなんてことは知ってますけどやってみたいんです。そういえば太宰治の自分語りは芸術になっても、パンピーの自分語りがキモくなるのってなんでだろう。文章力の違いかな。

 

さっさとこれは日記です!って言えばいいのに前置きが長すぎる。将来プルーストみたいな文章の人になりそう。最近思いつくことをメモるようにしてるのだけれど、これもまたつらつらつらつら……一つ例を出そう。

 

<本屋や映画館、図書館といった文化的な場所でみかける人に対して僕はとても興味があるし、ほぼ無条件で好意を抱く。万に一つでも友だちに知り合いになれないかなとか。
文学やサブカルに対するぼくの思いが強くそのせいで拗らせて孤独感を感じる中で、その人は同じ属性の人なのではないかという淡い期待があるからだ。同じ属性で、同じような好奇心があり僕の好奇心に対して理解してくれて、ヒントや答えを与えてくれたり、なにか新しい啓示をくれるのではという期待だ。>

 

だは〜。自我が暴発してますね。自己陶酔じゃないのかな。自然派小説で眠くなって放り投げた過去の自分にビンタしたいですね。

 

一つ確かな方向性はとにかく自分の生き方を変えたいということ。そのために始めたといっていい。自分にも周りにも嘘をつきたくないしATフィールド全開なんてもうやめたい。自分の頭の中をインターネットにぶちまけることで中和される気がしてる。嘘はやめればいい。

 

僕は長老とか孤高の人、高尚な精神の人って言われる。本当にいろんな人から言われるのでそうなのかもしれない(僕は自分のことを把握することがまったくできない)だけど、いやだからこそ、なんというか柔らかく生きていきたいと思った。

こうしてモラトリアム期間の中で精神性を社会と同調させていくのが大人になるということなのかもしれない。ここではないどこか、何かが足りない感覚、そんなものは朝起きて夢の内容は忘れても夢を見ていたという感触だけが残っているようなもので、時間とともに忘却の彼方へいってしまう。

だけど、拗らせてきたなりに精一杯もがいていきたい。これはそのためのアーカイブ