場末がありありと浮かぶとき

自転車の籠にはゴミが腐りかけ

着信音が間間透き通る

受話器の向こう側を無差別爆撃してる愉快なテロリストは教義も世界への絶望もない奴らだ

夕方にチャイムが夜を警告する下で子どもたちだけが無垢で賢しい笑顔を浮かべ、岸から岸へ自転車乗って揺らめきながら散ってゆく

音もなく宵闇が吹き迫り、空にはレイリー散乱が匂う

やおら街灯が道ばたに影をつくる

ペトリコールが鼻につく

解体工事は休憩中

黴と埃が夜の中に飲み込まれた場末を、街を彩る 

そこへ華を添えるは雨

 

ユートピア

今日もカンペキに整備された円環都市を流離う

この先立ち入り禁止にぶち当たらない!

大地の蓋

社会に「煮物」は必要ありません

皆さん、あふれる煮汁をせき止めるのに精一杯

落とし蓋の下は、とてもよく煮えています

臭気がたちこめているけれど分かりゃしません

だって、ずうっとこの上で暮らしてきたのですから

 

今日も、どこかで、だれかが、ずり落ちます

オーイ、皆サン!

 

ぼくの家は古いから、だんだん滲み出てはじわじわあふれだす

どれ、味見

指をひたして舐めてみる

 

あぁこの味は知らないほうがよかったな、だから...

教えてくれたってよかったじゃないか

それに

よどんだ沼だなんて嘘言うなよ

どうみたって、きらきら白く光ってるじゃないか

あーあ、アア、空にマス目がある...

 

 

 

 

 

 

器の大きさは視野の広さかもしれない

 ひっさしぶりに吐いた。

むちゃくちゃになってしまいたいという願望から、不肖数え年で21になるが、酒に初めて手を出してしまい、そして日がな一日呑むようになった。

数週間ほど前の事である。すぐにめっぽう弱い体質と判明した。しかし安く簡単なので気に入ってしまったのだ。

そういう訳で、最初はビビっていたのに1週間も経つと、調子に乗り、普段ODする咳止め薬と一緒に飲んで、吐いた。

ゲロにもスーパー賢者タイムのようなものがあるのかもしれない。スッキリはしたがもう動けない。テンションだだ下がり。

疾患があるにせよ、こんなごみくず生活が良い訳がない。ウウウ...。

 

 

どんな時でも余裕を持って優雅たれ

と家訓を垂れたのはFate/Zero遠坂時臣であり、痺れるセリフである。忙しない人々が噛みしめたい至言だ。

 

さて嘔吐のことだが、僕はそんなに経験がない。というか普通はそうなのではないか。

経験は少なくても、いよいよ吐くぞ、という感覚はなぜか察知可能だ。

キュキュキュと口の中が突然すっぱい唾液だらけになる。あ......くるぞ...。

トイレへ駆け込み、ひざまずき、便座にしがみつく。

 

ふう...。盛大に吐いてしまい、少し外してしまったので流しても臭いが漂う。

慌てて掃除をするのだけれど、あのツンとした臭いはなかなか消えてくれない。

親しみのない僕は、それ特有のツンとした臭いにあらためて驚く。こんなものを体内にいつも仕込ませているのか、と。無駄に関心する。

思えば糞尿もそうだ。人体はなかなかすごい。

自らの体臭は自分では分からない。だが、ゲロや糞尿の体臭がする人は出会った試しがないから、多分僕もその心配はないと思う。

そんな心配よりも、汗臭さや加齢臭の類いが世の人を悩ませているだろう。しかしこれは人間の宿命だと思うのだ。

ゲロや糞尿の強烈に放たれる臭いを閉じ込める副作用だと考えれば、己の正体不明な体臭も行き交う人々の体臭もかわいく思えるのである。

 

余裕を持って優雅で生きるには、たとえ上記のような屁理屈であっても、怖めず臆せずドーーンと力強く構えることが肝要なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

必然性と可能性、絶望

いつのまに空の青さは当たり前

星が瞬く夜空なく

ときめきながら見上げてた

夢に生きてたあの頃は

いつからだろう夢のない夜

 

タランテラのテロルと踊り

初めまして安藤です。

頭の中のごちゃごちゃした反芻思考を言語化しアーカイブとする目的と思考を文章として出力する目的ではじめました。もちろん、承認欲求も手伝っています。

要するに自分の頭の中をさらけだそうという試みです。

 

そういう訳で日記なのか考察なのか創作なのか一切方向性は定まっていません。

 

 

内省といえばかっこ良く聞こえる謂わば自分語りがキモいなんてことは知ってますけどやってみたいんです。そういえば太宰治の自分語りは芸術になっても、パンピーの自分語りがキモくなるのってなんでだろう。文章力の違いかな。

 

さっさとこれは日記です!って言えばいいのに前置きが長すぎる。将来プルーストみたいな文章の人になりそう。最近思いつくことをメモるようにしてるのだけれど、これもまたつらつらつらつら……一つ例を出そう。

 

<本屋や映画館、図書館といった文化的な場所でみかける人に対して僕はとても興味があるし、ほぼ無条件で好意を抱く。万に一つでも友だちに知り合いになれないかなとか。
文学やサブカルに対するぼくの思いが強くそのせいで拗らせて孤独感を感じる中で、その人は同じ属性の人なのではないかという淡い期待があるからだ。同じ属性で、同じような好奇心があり僕の好奇心に対して理解してくれて、ヒントや答えを与えてくれたり、なにか新しい啓示をくれるのではという期待だ。>

 

だは〜。自我が暴発してますね。自己陶酔じゃないのかな。自然派小説で眠くなって放り投げた過去の自分にビンタしたいですね。

 

一つ確かな方向性はとにかく自分の生き方を変えたいということ。そのために始めたといっていい。自分にも周りにも嘘をつきたくないしATフィールド全開なんてもうやめたい。自分の頭の中をインターネットにぶちまけることで中和される気がしてる。嘘はやめればいい。

 

僕は長老とか孤高の人、高尚な精神の人って言われる。本当にいろんな人から言われるのでそうなのかもしれない(僕は自分のことを把握することがまったくできない)だけど、いやだからこそ、なんというか柔らかく生きていきたいと思った。

こうしてモラトリアム期間の中で精神性を社会と同調させていくのが大人になるということなのかもしれない。ここではないどこか、何かが足りない感覚、そんなものは朝起きて夢の内容は忘れても夢を見ていたという感触だけが残っているようなもので、時間とともに忘却の彼方へいってしまう。

だけど、拗らせてきたなりに精一杯もがいていきたい。これはそのためのアーカイブ